移転したダリオです! ここでも更新は遅くなるかもしれません(ミクシイの所為)が、よろしくお願いします!
マハーバーラタの奇跡
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結局何が嫌かというと
2006-11-30-Thu  CATEGORY: 一般論
おいていかれるのが嫌なのだ。
皆がしていることをしていない。
皆が行った場所に行けない。
皆が持っているものを持っていない。
皆が出来ていることが出来ない。

こういう状況であることをまざまざと見せ付けられたとき、僕は激しい敗北感に苛まれる(だから僕は今、授業に出ずにドイツ語をやっている)。

もちろん、才能とか時間とかお金とか嗜好とかの関係で、上記の状況になってしまうことは多々ある。むしろ、それが殆どだともいえる。
だから、僕は役割を求めるわけだ。自分を慰めるために。ある点では劣っていても、その役割のために自分が必要とされると錯覚できるような。



まあしかし、そんなもの簡単に手に入るわけもない。
突出した能力でもあればいいのだろうが、僕にそんなものはない。能力のバランスが取れているわけでもない。そのくせ、短所だけは大量にある。
そういうわけだから、僕はいつも所属している集団の中で「その他大勢」に分類されそうになる。
それを避ける手段として、「異端」というキャラクタを獲得するのだ。
「異端」になるのは難しくない。
単純に、他の人と違うことをすればよいのだ。
それが、僕にとっては限りなくつらい。
僕は、皆においていかれるのが嫌だ。「異端」になるのはその嫌なことを自らに課す行為である。
それに最近は、立場だけ「異端」になってしまっているような気がする。
仲間に入れない。
仲間だとみなされない。
妙な疎外感を感じる。
しかし、十分に「異端」の役目を果たせてはいない。
僕はもう、疲れた。
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みいこさん
2006-11-03-Fri  CATEGORY: 戯言
自分だけが苦労してるような姑息な生き方を選ぶな。

これは、いつも僕が自分に言い聞かせている言葉である。
ヒトクイマジカルからの引用なのだが、驕りを防ぐためには重要な言葉だ。
しかし、最近この警句を守れていないような気がする。
こういう「生き方」系のものは「自分がどう思っているか」よりも、「他人にどう思われているか」が大事である。
愚痴をこぼしてはいけない、とまでは言わないが、少なくとも愚痴をこぼしすぎてはいけない。今の状況は、おそらく「こぼしすぎ」な状況である。

もちろんこれを他人に押し付ける気はない。人の愚痴を聞くのは結構すきなのだ。しかし、この場合はそれが仇となる。
僕は人の愚痴を聞くことを苦としないが、基本的に「愚痴をこぼす」というのは相手に不快感を与える行為だ。普通、今まで経験してきた自分の不快感からこぼしてもいい愚痴の量を決めるのだろうが、僕にはそのヒューリスティクスが圧倒的に不足している。

もっと人間の観察をして、どこまで踏み込んだら不快感を与えるのかを学習しなければ、僕に未来はない。
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